こんにちは、コスモピュリティです。
今日は「優劣」の概念がない世界について、思ったことをシェアさせてください。
「優劣」の概念って、私たちが育ってくる中でたくさん経験してきましたよね。
学校の成績や、お金、今だとフォロワー数とかもありますよね。
この数が多い=良い、少ない=良くないという考えが一般的にあると思いますが、
優劣の概念を持っていると、目の前にある素晴らしい景色を純粋に味わうことが難しくなるなと感じます。
例えば目の前に、
・今日食べられる食べ物がある。
・今日出会った人と笑い合えた。
・今日暖かい部屋で落ち着いて過ごせた。
など、たくさんありがたいなぁと感じられ、
幸せな気持ちになれることがあるのですが
でもこの優劣の概念があると、
例えば
・食べられることを喜べない、とか
・笑ってくれた相手の想いを大切にできない、とか
・部屋温められるけど、電気代大丈夫かな(笑)
など、そういったところに意識がいってしまって、、
せっかく目の前に、素晴らしい世界が広がっているのに
その素晴らしさをわかることができない。
ということが、私も含めて、起きてしまいがちだなと感じます。
優劣の概念を自分から抜いてみると
安心して、守られていたなぁと感じることが出てきます。
例えば私は、田舎に暮らしていて、バスソルトを売っていて、ご近所の方やお客様との交流があります。
ですので
・目の前に〇〇さんがいる。
・〇〇さんが喜んでいる、笑っている。
・私も〇〇さんといて安心している。
ただただそういった世界が広がっていて、なんだとても安心できる世界だなと、とても素晴らしい世界だと感じました。
心が安らぐ感じがしました。
なんかこの心が安らぐ感じって、人間の生命力を回復させてくれるような感じがします。
これまで体験してきた、
心安らぐ喜びの瞬間のエネルギーは、
実は今生きている、この空間の中に
全て詰まっています。
過去の終わったもの、ではなく
同じ空間にあるんですね。
そしてそういった喜びのエネルギーは、
私たちが意図せずとも、
常にこの空間にひしめき合っていて、
一緒に喜び合えるのを待っているというか
待ち望んでいる、そんな気がします。
なぜならそのひしめき合っているエネルギーは、
私たち自身なのですから。
庭で袋栽培しているじゃがいもです。
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